Message from Takashi Sakai酒井多賀志のメッセージ

メッセージB

日本的な素材を基にオルガン作品をつくる意味の重要性について(1999)

私は1987年より尺八や琴など邦楽器とのアンサンブルを開始し、1991年から「赤トンボ」の主題による変奏曲op. 32 を皮切りに、日本で古くから歌われている曲や民謡をテーマにした変奏曲やフーガを作曲し始め、又1992年からは奄美島唄とのアンサンブルに乗り出しました。

 1970年代の中頃、私がオルガンコンサートを始めて少したった頃、私はホールの関係者から、「もっと聴衆に分かりやすい曲を弾いてもらえないか」という注文を受けました。
 当時J.S.バッハとC.フランク専門の演奏家をめざしていたわたしは、この言葉にあまり注意を払うことなく無視して活動を続けていました。
 しかし1970年代後半から、ヨーロッパ音楽のみに終始している私自身、そして日本のクラシック音楽界に大きな疑問を持ち始めました。この疑問は日を追ってすごいスピードで膨らんでいきました。
 当時合唱指揮も手がけていた私は、16世紀から17世紀にドイツで活動していた作曲家H, シュッツとイタリアで活躍していたC, モンテヴェルディの関係に注目しました。
 H.シュッツはドイツからイタリアへわたり、C. モンテヴェルディに師事するのですが、彼はイタリア音楽を学びにいったのではなく、C.モンテヴェルディの技法を学びそれを土台としてドイツの音楽を打ち立てたのです。
 第二次世界大戦以前の日本の作曲家、たとえば滝廉太郎、山田耕筰達もH.シュッツと同様、ドイツに学びそれを土台として当時の日本の音楽を生み出しました。
 しかし第二次大戦後の日本のクラシック音楽家のほとんどは、自分があたかもヨーロッパ人であるかのように、ヨーロッパ人と同じことをやろうとしています。
 1970年代の私も、シュッツの時代と20世紀では国際化のレベルが違うので、日本人の私がヨーロッパ音楽を専門に演奏をしたってかまわないと思っていました。今日でも多くのクラシックの音楽家達はそう思っているのではないでしょうか。
 しかし時代は徐々にそれを否定しつつあります。
 1960年代に、ドイツのオルガニストH.ヴァルヒャに続いてフランスのオルガニストM.C.アランが、バッハの全曲録音を世に出し、オルガン界の話題を二分する時代があったことはメッセージ(A)でのべました。
 その数年後フランスのM.シャピュイやスイスのL.ロッグが同じことをやっても、もはやあまり注目を受けませんでした。
 もう時代はG.レオンハルト達の古楽器の時代となってきており、それと平行してメッセージ(A)で述べたような民族主義的な流れが加わって来たのです。
 1989年に崩壊したベルリンの壁は、民族主義的な流れがもはや決定的な力を持って膨らんできたことを示しており、オランダ人のT.コープマンのバッハ全曲録音の挫折も、もはや民族主義的な流れが、古楽器の流れさえも飲み込んでしまったのだと私は考えています。

 情報や交通が発達すれば世界は一つになると思っている人が多いかと思いますが、逆の視点もあります。
 相手との距離が適当であればうまくいっている関係が、情報や交通が発達することによって、その距離が圧迫され、相手との関係がうまく作れず、紛争が起きるとも言えるのです。
 情報と交通の発達は現在の私達にとって、「相手との距離」の取り方においてバランスを崩しており、これが様々な紛争の火種を作っているのではないでしょうか。
 音楽の解釈においても、例えばドイツと日本の間に距離があるときは、日本人の解釈によるバッハの音楽が存在出来る可能性がありましたが、その距離が縮まり、本場のドイツ人による解釈が日本で日常的に演奏される現在では、日本人による解釈が正統なものとして受け入れられる可能性はほとんどありません。
 その状況は他の作曲家でも皆同じであり、日本人が主体的に表現を打ち出せる場は、すでに失われているのです。私達オルガ二ストの、音楽における自己実現という点から考えれば、日本のオルガ二スト達には、既に非常に大きなストレスが溜まっていると思われます。
 私は日本のオルガン界は方向転換するべき、ぎりぎりの所に来ていると思います。
 私達の音楽における自己実現の為には、H.シュッツや山田耕筰達のように、外国で学んだ優れた技法を生かし、自国の身近な素材を発展させる可能性を追求するべきなのです。
 そうした成果を実らせて自己実現の基盤を持つことによって、初めて相手との距離が計れるのであり、しかるべき発言権を持って世界の仲間入りが出来るのです。
 21世紀の世界ではおそらく、各民族がそれぞれの特性を主張しながらも相手の特性を認めつつ、動的なバランスを求めてポリフォニックな調和を作り出そうとする方向へむかうでしょう。
 その為の一手段として、私達オルガ二ストはバッハが好きであるならば、単にバッハを弾くだけで終わるのではなく、バッハの作品と同じ構造を持つ作品を、自身のオリジナルのテーマか、又は聴衆も知っている身近なテーマを使って、現在のセンスと絡めて作曲することを試みるべきだと思います。
 そうして生まれた作品は、テーマのキャラクターからいっても、又現代のセンスからいっても、バッハと同じ作品に留まるはずはありません。それは聴衆と同じ立場に立った現代の曲であり、我々は、自身の解釈によってそれを自由に展開出来るのです。
 そうした作品を生み出す過程はバッハの足跡をたどることでもあり、バッハの音楽をより深く理解する事にもつながり、その新しい理解が、また次の作品を生み出す種子になるのです。
 各オルガ二スト達が、それぞれの好きな作曲家についてそれを行えば、日本のオルガン音楽のレパートリーは、数からいっても質からいっても、格段の発展を見せ、演奏する側にも聴き手にも活気が生まれることでしょう。その成果が日本のオルガン音楽の新しい伝統となって行くと思うのです。
 かつてホール関係者が言った「もっと聴衆にわかりやすい音楽」とは、言葉どうりの意味では無いと思います。
 聴衆にわかりやすい音楽の多くは、もともとオルガン曲ではないので、そのままでは成功し発展する可能性はありません。我々の身近なテーマや音楽的素材が、オルガン曲特有の形式と結びついて、初めて我々にとって生きたオルガン曲が生まれるのです。
 「もっと聴衆にわかりやすい音楽」というのは、そのようなアイデアから生まれた作品群の中からのヒット作品ということになるでしょう。
 1999年9月現在私の作品はop.52まできていますが、そのうち自信をもってお薦め出来るのは10数曲です。それらは決して易しく、また必ずしもわかりやすい音楽ではないかもしれませんが、上記のような問題意識から生まれました。
興味のある方のご意見をお待ちしております。