Message from Takashi Sakai酒井多賀志のメッセージ

メッセージH

オルガンと電子楽器(2002)

「オルガン」という言葉は、道具という意味をもっています。

しかしいつのまにか「オルガン」は、貴重な宝物という意味を持ってしまいました。

私の現在のコンサート活動のうち、約半分は電子楽器によるものです。

しかし「電子楽器によるコンサート」というだけで、実際の音を聴く以前にアレルギー反応を起こす人も少なくないようです。

よく電子楽器は代用品だが、パイプオルガンは本物だ、と言う人々がいます。

私は道具とは本来、本物も偽物もなく、ただ道具として妥当かどうかが問題だと思うのですが、「本物か代用か」という議論になると、そこには道具としての意味よりも、もっと別の感情的な思い込みが働いているように思います。

電子楽器を弾くと、オルガンの音に対する感覚が狂うという人がいますが、そんなことはありません。

もちろん本物のオルガンに接して、プリンチパルやフルート、オーボエやトランペット等の各音が持つ独特の鳴り方を意識してとらえ、はっきり記憶し、それに対応するタッチをコントロールする技術と感覚を持つことは当然です。

しかしその感覚を身につければ、電子音の中にオルガンの音のキャラクターを見つけ、オルガン音楽の演奏にとって必要な音を引き出す事は十分可能です。

ですから、オルガンと電子楽器を交互に弾いて、その違いを認識し、感じて対応していれば、オルガンの音に対する感覚が狂うことはありません。

むしろ、オルガンと電子楽器の音の違いを意識する事によって、かえってオルガンの音のイメージが明確になると思います。

本物のオルガンだけを弾いている人の中には、一つのイメージしかないため、オルガンに任せきりで、音に対する意識的なイメージが弱い場合があります。オルガンの個々の音色に対して,タッチの実際の対応が鈍く、本物のオルガンなのに無機的で性格のはっきりしない音をばらまく、といったケースも大変多く見られます。

私は電子楽器によるオルガンコンサートを積極的に行ってきていますが、昔と違って、楽器の発達のおかげで、かなり満足の行く結果が得られています。

電子楽器を弾いていて、「これが実際のパイプオルガンであったら」、と思うことは勿論あります。

しかし日本では、オルガンが良く響く為の条件を満たしていない建物も多く、「これが電子楽器であったら」、という場合も少なからずあります。

最良の音響での最良のオルガンには、電子楽器はまだ確かに劣りますが、現在の最先端の物は、かなり良い楽器になっています。

電子楽器特有の利点をいくつか挙げたいと思います。

★音量の自由なコントロール

オルガンだと音色とボリュームは一体になっており、例えばフーガの演奏でよく用いられるプリンチパル系の8,4,2、Mixturの組み合わせでは、常に一定の大音量が鳴り響きます。

これを長時間聞いていると、耳が大変疲れます。かといって2’やMixturをはぶいた音では、内声や低音部の細かい動きが、不鮮明になる場合があり、はぶく訳にはいかず、8,4,2、Mixturの大音量に耐えなければなりません。

しかし電子楽器ならば、この組み合わせのままで、疲れない範囲に音量を絞ることが出来ます。

バッハはよくクラヴィコードを弾いていたそうです。極めて音量の小さいその楽器は(私も持っていますが、隣の部屋には絶対聞こえない程)、オルガンの大音量に疲れた耳にとって、リハビリの役目を果たしていました。

私は電子楽器で譜読みをし、最後にオルガンで仕上げると言うパターンを25年以上続けていますが、この方法は、オルガンだけを弾き続けるよりも、耳の負担がずっと少なく、より効果的であると確信しています。

私は、たとえいつでも自由にオルガンを弾いていられる状態にあったとしても、電子楽器が必要だと思っています。

 ★場所に限定されないコンサートが可能

オルガン音楽を聴きたい人は、オルガンの或るところへ出向かなければなりません。

しかし電子楽器なら、オルガンを設置することが出来ない地域にも、こちらから出向き、オルガン音楽を演奏することが可能です。

オルガンを設置することが出来る建物は、ヨーロッパ風の天井の高い大きな空間ですが、このような建物が可能なのは、公共のホールか、学校の講堂と言うことになります。

その地域のみに限定されたオルガン演奏だけでは、聴衆は限られてしまいます。

私は10年以上前から、邦楽器や奄美島唄とのアンサンブルを試みており、1998年から毎年夏、奄美諸島へ電子楽器をワゴン車に積んでフェリーでわたり、オルガン独奏、現地の唄者との共演、現地の作詞者の詩による歌曲(オルガンとソプラノ)の発表などをしています。

ヨーロッパ音楽の伝統と、各地の島唄の伝統のコラボレーションは面白く、これらは地元で大変歓迎されています。

また1998年には奄美大島で、2000年から2002年にかけて大島に加えて八王子でも、野外コンサートを行いました。

野外でのコンサートでは、いつもの閉じられた空間でのコンサートとは違い、伸々した新鮮な感動を生み出せます。

オルガンを持ってどこにでも飛び込んで行けることは、 素晴らしい喜びです。

★災害の時のピンチヒッター

近い将来東京にもM.8規模の地震がくると言われています。

関西大震災の時もそうでしたが、一時的とはいえ、多くのオルガ二ストがオルガンを手にすることが出来なくなるでしょう。

1973年、私がオルガニストを勤めていた吉祥寺カトリック教会が火事になり、オルガンが弾けなくなってしまいました。色々手を尽くした結果、週のうち2日はオルガンに接する事が出来ましたが、あとの5日間は、電子楽器による練習でした。

もし電子楽器が無かったら、私のオルガ二ストとしての生命は、そこで終わっていたかもしれません。

電子楽器は、私にとって、命の恩楽器なのです。

コンピューターもそうですが、デジタル機能に代わった電子楽器は毎年すごいスピードでバージョンアップしています。10年前とは比較にならないくらい、良い音になっています。

今後は、おそらく5年単位ぐらいで更に向上してゆくでしょう。その発達に大いに期待したいところです。