曲目解説

完全音程を主体にした3つの作品 OP.1(1981春から秋)*販売譜

第一曲 レシタティーフ・アリアとコラール

第二曲 二枚のガラス

第三曲 瞑想的トッカータ

私の最初の作品は第三曲「瞑想的トッカータ」で、第一曲・第二曲はそれに続いて作曲し、1981年に発表しました。


◯第一曲:レシタティーフ・アリアとコラール

全体の構成はブクステフーテの5部分トッカータと類似している。コラールのメロディは、復活祭のコラール「キリストは甦りたもう」を使っている。

心象的イメージ

遠い国からファンファーレがきこえてくる。

静かな行列の祈り。

復活祭のコラールが澄んだ大気の中にうかびあがる。

遠くへ呼ぶ声、応えてくるファンファーレ。


◯第二曲:二枚のガラス

音が存在しているのにもかかわらず、空虚な響である完全音程と、物質でありながら視覚的には物質ではないガラスという、両者の神秘的な類似性を空想し、その透明な響きを追ってみた。

心象的イメージ

二枚のガラスが陽の光をうけて、眩しく反射しあう。

物質でありながら視覚的には物質ではない透明という名の神秘。

うつろう虚像が重なりあう光の戯れ。割れるガラス、霧散する幻影。


◯第三曲:瞑想的トッカータ

完全音程がつくりだす遠い響きの中で、自由に飛翔する躍動感に身をまかせてみた。


●2016年6月24日デジタルパオプイオルガンコンサートNo9パンフレットより

第3音を欠いた完全音程がつくりだす空虚な遠い響きは、ゼロからの出発を象徴しています。不安と自由が交錯する振動の果てに飛翔する躍動感が印象的な曲です。


心象的イメージ

地上から飛び立った或る大きなエネルギーが、再び地上めざして降りかかる。

動めく不気味な振動、次第に力を増してゆく広がり、それがすべてをのみつくす。

混乱の中から、又何かが飛び立つ。地上のすべてが崩れゆこうとしている時に、まだ地上の夢をおいつづける群。

通奏モチーフを用いた3つの作品 OP.2(1982)*販売譜

第一曲:音のプリズム

第二曲:流れゆく雲

第三曲:幻想曲



◯第二曲:流れゆく雲 OP.2−2(1981秋から冬)

A)オルガンで東洋の心をどのように表現出来るかというのが80年代前半の私のテーマでした。

この曲では7連音符の反復の上に2つのテーマを用い、草原でねそべって空を見ているようなリラックスした気分を展開してみました。


●CD「酒井多賀志オルガンリサイタル第1集」曲目解説より

B)1982年当時、諸々の悩みや緊張に疲れていた私には、優しい慰めとなった作品です。この曲では7連音符の反復の上に2つのテーマを用い、草原でねそべって空を見ているようなリラックスした気分を表現してみました。当時府中に住んでいたわたしは、多摩川の川原が大好きで、日曜や休日には多摩川に行き、芝生に寝転んで、流れゆく雲をながめていました。遠くの広場ではしゃぐ子供達の声、物売の声などが懐かしく思い出されます。

(収録CD:「酒井多賀志オルガンリサイタル第1集」)


心象的イメージ

日曜の午後、

多摩川の芝生に寝転んで、流れゆく雲をながめる。

遠くの広場ではしゃぐ子供達の声、物売りの声、

日常の喧騒もここでは人生のぬくもり。

交響的即興曲「光と風と波の心象」OP.3(1982夏から秋、1984改定)*販売譜

A)理論と拍節リズムに支配されている近代の西洋音楽とは異なる発想に起ち、呼吸にあわせた自由なリズムと、1、4、5、8度のいわゆる完全音程のみを協和音とするシンプルな中世のオルガヌム的な発想をもとに1982年に作曲しました。オルガンの響きの空間的広がりの大きさは、大自然を表現するのに大変適しています。尚この曲は、次のようなイメージをもとに生まれました。

 人間が生まれるずっと以前から、「光と風と波」は地上の生命を潤しています。人間はいつしか「光と風と波」と対話しはじめ、その対話の中に、自分自身のこころを発見することを覚えました。数えきれないほどの人々の喜びや悲しみを知っている「光と風と波」が今日も太古から続いているメッセージを伝えてくれます。


●2017年6月16日デジタルパオプイオルガンコンサートNo11

B)理論と拍節リズムに支配されている近代の西洋音楽とは異なる発想に起ち、呼吸にあわせて、自由に追分風な流れを展開させた作品で、1982年に作曲しました。一方では、オルガンの響きの空間的広がりの大きさを、大自然に囲まれた日本の風土の表現と結びつける試みに着手し、追求しました。 ~後略~


心象的イメージ

  親しい人が去っていってしまった時、

「あなた」の存在を失った私の心は、自然へとむかう。

明るい日の出、平原を流れてくるやさしい風の香り、

繰り返し打ち寄せる波は、永遠に生き続け、「あなた」のいのちと繋がっているから。

派動する光と風と波は皆心の仲間。

私の心のうねりも、いつか潮の流れにのって「あなた」の心に打ち寄せるだろう。   


(収録CD:「流離〜パイプオルガン、尺八、箏の出会い〜」)

2つの通奏モチーフの詩 OP.4(1982)

第一曲:平和への祈り

第二曲:トッカータ「断絶」

*解説文が見つかり次第、掲載致します

チェンバロの為の幻想曲  OP.5(1982)

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

現代の詩3章  OP.6(1983)

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

組曲「霧の中の幻想」 OP.7(1983冬から春)

心象的イメージ

覚めた意識が立ち入ることの出来ない柔和な世界に於いて、

自分の自由な幻想を思いきり飛翔させてみたいと思っている人々がいる。

目覚めた意識がとらえたものにしか価値を認めようとしない自称「リアリスト」は、

人間とは本質的にそのようなものを求めている存在であるという現実を否定しようとする。

人間は覚めた意識と、無意識的な陶酔の反復の中で生きているのである。

意識的な世界があまりにも幅をきかせすぎている現在、私は思いきり、

陶酔的な世界にひたって、慰めに満ちた音楽を奏でてみたい。


(1)古くから歌われている歌が、馴れ親しんだ口調で響く。

(2)霧の中でファンファーレが鳴り響く。遠い夢の中での戦争。(1987改作)

(3)荒野をかけめぐる傷ついた魂。

(4)やっと見つけた束の間の平安。

(5)夢の中で聞こえてくる歓喜の歌声。

チェンバロの為の瞑想曲  OP.8(1983)

第一曲:木もれ日

第二曲:落ち葉の森

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

瞑想曲「残照」 OP.9(1983秋)

心象的イメージ

落葉間近かの紅葉、

秋の浜辺に打ち上げられたちぎれたビーチサンダル、

水平線に近づいた太陽、深い谷につもる雪。

個別にみれば悲劇的なものでも、長い生命の営みの中では輝きにみちた活動の証し。

山々にふりそそぐ最後の陽光、意識の沈静を誘う波の音。

花吹雪  OP.10(1984)

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

ソプラノとオルガンの為の3つの詩篇    OP.11(1984)

第一曲:第4篇「私の義を守られる神よ」

第二曲:第13篇「主よ、いつまでなのですか」

第三曲:第145篇「我が神、王よ、私はあなたをあがめ」

バッハにならって私なりに、熱い口調で語ってみました。少々演歌っぽい雰囲気がありますが、ソプラノの清澄な表現は、それを聖化してくれることでしょう。


●初演:1984年6月8日パイプオルガンコンサートNO.20パンフレットより

この曲は今までのオルガン作品が生みだしてきた抽象的な精神のみの世界でなく、言葉の力をかりて、より現実的な世界へむけて、エッセンスを凝縮させ、肉体を感じさせる音楽を生みだすことを意図しています。

オルガンのみの抽象的な作品は、私の中で大きくて広がってゆく遠心力として働いています。一方言葉による限定された方向を持つ声楽曲は、反対に求心力として私自身に作用することでしょう。この遠心力と求心力の動的緊張関係を知覚し、生みだすことは、現在の私にとって生きている証ともいうべき課題なのです。

チェンバロの為の瞑想曲「雨の道」OP.12(1984)

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

アルトとチェンバロの為の3つの詩篇 OP.13(1984)

第一曲:第42篇「神よ、鹿が谷川を慕いあえぐように」

第二曲:第61篇「神よ、私のさけびを聞いてください」

第三曲:第84篇「万軍の主よ」

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

瞑想組曲「初夏の風」 OP.14(1984)

●1984年6月8日パイプオルガンコンサートNo20パンフレットより

今年はいつになく寒い日が長引き私の音楽もすがすがしいというよりは、水気を多く含んだ感じの「初夏の風」になってしまいました。私は、盛夏の前の梅雨時に、山や林や草原がしっとりと霧雨に濡れている時の、あの秘められた緑のあざやかさが好きです。この曲ではその情緒を追って見ました。

(1)トッカータ 

(2)霧雨 

(3)沼でさわぐ鳥達 

(4)変身 

(5)生命のざわめき

弦とオルガンの為の幻想的空間  OP.15(1984)

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

ふる里の詩 3章 OP.16(1984)

第一曲:なつかしい景色

第二曲:祖先の霊気

第三曲:森の朝

心象的イメージ

人々が自分の可能性を求めて飛び出したふる里。

自分の限界を知り、初めて自分が誰であるかを知った時、

人々は自分のふるさとを探そうとする。

以前、何気なくみていたものが意味を持ち始める。

ふる里は、むかしから、そのように在ったのだろうか。

瞑想的即興曲「流離」 OP.17(1985)*販売譜

日本の芸術においては、四季の情緒が大変重要な意味を持っています。この曲は、オルガン音楽の中に日本の四季の情感(この曲では晩秋から冬)を初めて盛り込んだ作品です。自分の信じる道を一途に歩もうとする人間の情熱を、芭蕉の辞世の句、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の中にイメージし、1985年(バッハ生誕300年)に作曲しました。

1992年6月、イギリス・オックスフォード大学出版局から、この曲の楽譜が出版され、CDは2種類、DVDもリリースされています。


心象的イメージ(1)

●1986年6月21日パイプオルガンコンサートNo.24

私は愛国主義者ではないが、私の生命を育んでくれている空気土水を愛さずにはいられない。

私の立っている所で、私の言葉で、素直な私をオルガンに託したい。

そこは、きのうに続く人里離れた所。

 「旅に病んで、夢は荒野をかけめぐる」(松尾芭蕉)


~心象的イメージ(2)~

●1987年6月12日パイプオルガンコンサートNo.26

先へ進みたい激しい衝動、それを拒む疲れた体、

魂は一人はるかな旅路へ歩みはじめる。

浮遊する意識、瞼の裏の激昂。

「旅に病んで、夢は枯野をかけめぐる」(松尾芭蕉)


(収録CD)

①「流離〜パイプオルガン、尺八、箏の出会い〜」 

②「サラマンカホールの辻オルガン」 

③DVD:「響きわたる音の神殿〜パイプオルガン〜」

組曲「望郷の夢」 OP.18(1986冬から初夏)

~心象的イメージ~

◯第一曲:前奏曲「故郷は、遠くにありて想うもの」

断片的な思い出も、脈絡のない話も、人が郷里を想うとき、すべては一つの意味になる。

◯第二曲:里の娘

思い出の中の愛しい娘、澄んだ空気と水とともに健やかに。

◯第三曲:痴話喧嘩

生きていれば喧嘩はつきもの、派手にやろうではないか。

◯第四曲:丑満時

人々が身を寄せあう家の外では闇が支配する世界、静寂のおののき。

◯第五曲:お祭りさわぎ

今日がいくら辛くても、パッと騒いで忘れよう。あした天気にな〜れ!

☆コラム☆

●1986年6月21日パイプオルガンコンサートNo.24パンフレットより

◯自作自演がめざすもの

 1981年から自作自演をはじめて5年経ちました。初期の頃は、楽譜に書かれたものを忠実に演奏しようとする意識的な束縛からの自由を求め、無意識の世界を解放しようと努力していましたが、やがて‘82年の秋ごろから、クラッシックの音楽の中に二人称的な「あなた」の表現があまりにも希薄なのに愕然とし、ヨーロッパ的な普遍性を重視する三人称の美意識からの離脱を試み、うつろいゆくものを追い、はかないものの情感を表現しはじめました。最近では、日本の自然な姿に視点を置き、常日頃、私達の心を何気なくよぎるものに焦点をあて、そこに潜む、昔ながらの日本人の情念を表現してみようとしています。

 出来上がった作品を見わたしてみると、作曲している時には別に意識していませんでしたが、それぞれの曲に、それが生まれた時の季節の情感が反映されているのを感じます。日本に於ける芸術にとって、季節感というのは昔から、不可欠ですが、私自身、これを無意識に楽しんでいたようです。(略)

◯曲目解説

 完全音程とは、1度、4度、5度、8度の音程をいいます。この響きのみを協和音としてあつかう技法は、ヨーロッパでは9世紀から14世紀まで用いられ、「オルガヌム」として当時の音楽を支えていました。まだ印刷術のない時代であり、あまり理論化されておらず、どのような音楽であったかは、想像するしかありませんが、数百年に渡って人々の心を満たすことが出来た音楽技法であったことは事実です。又、完全音程は音楽学者によれば、あらゆる民族の音楽にみられる響きだそうです。

この技法を私なりに用いてみると、そこでは、近代以降のヨーロッパ音楽の和声理論からは全く自由な立場で物を考えることが出来ます。しかも3度のない透明な響きは、日本的な旋律のもつ情感をくっきりと浮かびあがらせるのに適した技法だと思います。「完全音程を主体にした」という言葉はOP.1にしか使っていませんが、その後の私のすべての作品が、この技法を中心に作られているのは言うまでもありません。

 それぞれの曲は、ヨーロッパの音楽のように「〜形式」というような明確な構造をもっていません。ただ「起承転結」を想わせる形をとっている曲もいくつかあります。しかし、それは意識してそのように組立てたのではなく、瞑想的、即興的な自然の流れの結果なのです。

無伴奏ヴィオラのためのソナタ OP.19(1986

*解説文が見つかり次第、掲載致します。

オラトリオ「ソロモン王の裁き」 OP.20(1986)

*解説:鏑木孝昭氏より

初演 1986年12月6日 青山円形劇場

台本 酒井多賀志

女1    石丸真理      女2  竹内道子

ソロモン王 鏑木孝昭     語り手 吉村順邦

 旧約聖書(列王紀上 第3章)にあるソロモン王の裁きの物語に曲をつけたオラトリオである。聖書の記載は一部カットし、子どもを争う二人の女の激しい言い合いを加えて臨場感のある作品となっている。

日本語が美しく自然に聞こえる曲つくりをめざしていた酒井多賀志が、日本語の詩編歌を発表した2年後に作曲したはじめてのオラトリオである。合唱はなくソリストのみのアカペラ作品。

オルガンと尺八の為の「古謡組曲」OP.21(1987)

日本の古謡や民謡と、ヨーロッパの良く知られた古いメロディを組み合わせた曲です。日本からは、箱根馬子唄、ソーラン節、炭坑節が登場し、ヨーロッパからは、ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」、バッハの「G線上のアリア」「ガボット」が登場します。これらの異質なメロディが同時に組み合わされたり、並置されたり、ある部分が拡張されたりして展開します。

オルガンと尺八の為の対話 OP.22(1987)

A)奏者の全身全霊が音と化するような主観的表現の極みである尺八と、一方組織化された音の組み合わせによる客観的表現の極みにあるオルガンとの対話は、最も劇的な出会いであるといえるでしょう。曲は、そのことを充分意識し、まずオルガンと尺八が、それぞれの世界を独自に主張する離れた感じで始まり、次第に融合し、最後は白熱した盛り上がりをめざしています。


●2017年12月15日デジタルパイプオルガンコンサートNO.12パンフレットより

B)奏者の全身全霊が音と化するような尺八と、一方機械化され、組織化されたオルガンとは対極にある楽器と言えましょう。その事を踏まえ、まずオルガンと尺八が、それぞれの世界を独自に主張する離れた感じで始まり、次第に融合し、最後は白熱した盛り上がりをめざしています。


(収録CD:「流離〜パイプオルガン、尺八、箏の出会い〜」)

組曲「春の歌」 OP.23(1987)

心象的イメージ

◯第一曲:春一番

春のおとずれを告げる暴れ風、生命のざわめき。

◯第二曲:花粉症

夜明けがた襲ってくるくしゃみの嵐、重い気分と春めく気分の板ばさみ。

◯第三曲:おぼろ月

黄緑色の世界、したたる大気の露、まどろみの時。

◯第四曲:春雷

遠くできこえる春の雄叫び、命の活動のはじまり。

◯第五曲:花見酒

夜桜の下でくみわかす酒、ほろ酔い気分のちどり足、オーットットット、やあ ごめん!

オルガンと箏の為の瞑想曲「里の空」  OP.24(1988)

箏がもつ瞬間的に凝縮する撥弦楽器としての緊張感と、オルガンの茫漠とした響きの空間的広がりの対比を生かし、対話させた作品です。大気の澄んだ田園の解放と憩い、そして大自然のおおらかな生命の力を表現してみました。

(収録CD:「流離〜パイプオルガン、尺八、箏の出会い〜」)

オルガン、尺八、箏の為の綺奏曲 OP.25(1988)

A)三者のアンサンブルであるこの曲では、「間」のとり方で音楽を構成してゆく日本的な展開にはじまり、次第に拍子感を強めてゆき、最後はヴィヴァルディの協奏曲を思わせる軽快な舞曲となります。思い切った転調がありますので箏は二面、尺八も三本を駆使しての演奏です。

●2018年12月14日デジタルパイプオルガンコンサートNO.14パンフレットより

B)1980年代後半の作品で、日本的要素と西洋的な要素を結び付けた作品です。「間」のとり方で音楽を構成して行く日本的な前半と、ヴィヴァルディの協奏曲を思わせる西洋的な後半が特徴です。今ではめずらしくありませんが、このような結び付きは当時、奇想天外でしたので、それをヒントに、綺想曲と名付けました。 ~後略~

(収録CD:「流離〜パイプオルガン、尺八、箏の出会い〜」)

小犬のクーラント  *販売譜

●CD「酒井多賀志オルガンリサイタル第1集」曲目解説より

この曲はオルガン・尺八・箏の為の綺奏曲Op.25の最終楽章を編曲したものです。バロックの組曲の第2曲であるクーラントのイメージで、ショパンの「小犬のワルツ」に触発されて作曲しました。小犬のいたずらっぽい、ちゃめっ気を表現してみました。

(収録CD:「酒井多賀志オルガンリサイタル第1集」)

オラトリオ「ピラトの妻とマグダラのマリア」(台本:鏑木孝昭)OP.26(1988)  

*解説:鏑木孝昭氏より

初演 1988年9月25日 泉の里コンチェルトザール

台本 鏑木孝昭

ピラトの妻 山内房子        マリア  石丸真理

ピラト   吉村順邦        イエス  藤田光郎

オルガン  酒井多賀志、米沢陽子  合唱   シュトルム合唱団

新約聖書の記述に基づくキリスト受難の物語である。

イエスが十字架上で発した「我が神、我が神、なにゆえ私を見捨てられたのですか」という言葉は、絶望ではなく詩編22を詠んだものであり、イエスを十字架にかけた総督ピラトはそのことに気づいていたという仮説に基づいたオリジナル台本。信仰と現世のはざまで苦しむピラトとその妻を描いている。曲の中で合唱を用いたはじめての作品であり、日本語のモノディーが主体であるが、オルガヌム的なところから現代音楽を思わせる和声まで、様々な手法を用いている。

ミュージカル「森と海のまつり」OP.外(1989)

武蔵野市開村100周年記念委嘱 

尺八と箏の為の「清流」OP.27(1989)

1989年に三塚さんと小野さんの結婚記念に捧げた曲です。OP.74「一陽来復」の第三曲にこの曲の前半を転用しました。

響的幻想曲「曙光」 OP.28(1989)

A)世期末の不安と、21世紀への希望が交錯する現代人の心情を描いた作品で、1989年に作曲しました。中間部の荒々しい足鍵盤のソロは世界の混乱や戦争を表わし、終結部の演歌的なメロディは「曙光」に象徴される希望を表わしています。その間をうめるレシタティーフは、模索する感情、問いかけ、怒り、不安をオルガンで語る言葉として表現したものです。


  

●初演:1989年11月26日パイプオルガンコンサートNo30パンフレットより

B)「流離」を作曲したのは、バッハ生誕300年にあたる1985年でしたが、その後、邦楽器とオルガンのアンサブルの美しさに魅せられて、オルガン独奏曲の作曲からは遠ざかっていました。尺八や箏との二重奏、三重奏の作曲を通して、日本の音楽の持つ様々な要素をオルガン音楽にとり入れる箏は、大変楽しく、新鮮で、多くの可能性を秘めています。「曙光」では、そうした成果も生かして、4年ぶりのオルガン独奏曲の誕生です。


 心象的イメージ

現代がかかえる様々な問題がうみだす「不安感」を「闇」にたとえた作品です。

闇が支配している世界では、混沌とした中で激しい暗闘がくりひろげられる。

人々は、ほのかにゆれ動き、点滅する燈に一気一憂し、夜明けを待ちわびる。

あと少し、夜明けは近い!

「オルガンへの招待」 OP.29(1990)

第一曲:マーチ

第二曲:フーガ

第三曲:アリアと変奏

第四曲:瞑想曲「祈り」 *販売譜

第五曲:ファンファーレ *販売譜 

第六曲:トッカータ *販売譜


*おくとぱす委嘱作品。

●CD:酒井多賀志オルガンリサイタル第3集曲目解説より

東京純心女子短期大学(現在は東京純心女子大学)のオルガン科卒業生の有志によって結成されているパフォーマンスグループ「おくとぱす」から委嘱されて作曲しました。この組曲は、オルガンの持つ色々な音色を、コメント付きで演奏、紹介する目的で作られました。

◯第四曲:瞑想曲「祈り」OP.29-4

1990年に作曲した組曲「オルガンへの招待」の第四曲「瞑想曲」を単独のオルガン曲として転用した作品。19世紀フランスの作曲家C.フランクの様式を用いた静かな瞑想曲です。

(収録CD:「流離〜パイプオルガン、尺八、箏の出会い〜」)

◯第五曲:ファンファーレ ニ長調OP.29-5

●2002年6月15日パイプオルガンコンサートNo.41パンフレットより

1990年に作曲した組曲「オルガンへの招待」の第五曲にあたる曲です。このファンファーレは、オルガンの各鍵盤に属するリードの音を紹介する為の曲で、ロンド形式で出来ており、8小節の主要楽節が回帰する間に、スウェール、ポジティーフ、グレート、ペダルの各鍵盤のリードが華々しいソロを演じます。

(収録CD「酒井多賀志オルガンリサイタル第3集」)

☆コラム☆

令和元年12月13日に自宅で倒れオルガンシューズを履いたまま天国へ旅立った父ですが、倒れる直前まで練習に励んでいたようです。その時、譜面台に置かれていたのがこの曲です。翌日のクリスマスコンサートで弾く予定でしたので、直前練習をしていたのでしょう。その後、遺された楽譜のデータを整理していると、何度も何度も修正を加えた跡が残されていました。1990年に作曲された作品ですが、最期まで自分の納得のいく音楽を追求していた様子が見て取れました。(酒井流美)

マンドリンとオルガンの為の幻想曲OP.30(1990)*販売譜 

恩地早苗委嘱作品

●CD:「Fantasy for mandolin and organ1」曲目解説より

酒井が1990年に恩地氏の第1回リサイタルのために作曲し、宝塚ヴェガホールで二人によって初演された作品です。前奏ーレシタチーフーシャコンヌー協奏の4部から成りますが、とぎれる事なく一気に弾き進まれます。「アジア的なもの、バロック的なもの、現代的なものを、すべて現在という立場で等価にとらえ、構成した」と作者が語るこの曲はマンドリン音楽の可能性をしめす重要な作品です。

(収録CD:「Fantasy for mandolin and organ1」)

☆コラム☆

●1992年6月21日オルガンコンサートNo.32より

◯「流離」出版によせて

 J.Sバッハの有名な「トッカータとフーガ ニ短調」にあこがれてオルガニストになった私ですが、いつの頃からか、教会やコンサートでオルガンを弾いていて、「何かが違う」「何か足りない」という感じを抱きはじめました。トッカータとフーガ ニ短調には、他の多くのオルガン曲よりも一際鮮やかに演歌的な情感が満ちあふれていて、それが私の心の奥を刺激したのかもしれません。この種の自由奔放な曲は、オルガン曲には意外と少なく、又私達日本人がこの曲を親しむ程には、欧米人は関心を持ってはいません。これらの事に一時は失望したのですが、気をとり直し、それなら私自身で、自分の納得のゆく曲を作曲してみようと思いたって自作自演を始めました。しかしオルガン音楽の伝統のない日本でこのような試みをするのは、恐ろしく孤独な営みです。不安の日々が続き、健康を害した事もありました。それでも日本の風土の情感、季節感、二人称的な呼びかけの中に潜む暖かさなどをオリジナルのオルガン音楽の中にとり入れてみると、驚くほど自然にスムーズに溶けこんでゆくのです。考えてみれば、オルガン音楽は、ヨーロッパにおいて「神の家」である教会の中で、普遍的なもの、永遠なるものをめざして数百年かけて発達してきました。ですから、うつろいやすい二人称的表現や、自然の四季の情感といったものは、宗教音楽として客観的な視点を重視するオルガン音楽からは、意識的に除外されてきたのだろうと思います。私がかつて感じた「何か足りない」ものは、ヨーロッパのオルガン音楽の中に、数百年欠けていたものなのです。今まで、神の偉大さ、権威、愛を表現する為にのみ存在してきたオルガンが、私の作品では、四季に彩られた大自然のおおらかな力強さ、きびしさ、やさしさといった情感をも語っています。

 最近では、ヨーロッパのオルガニストから、日本人の作品を弾きたいという問いあわせも寄せられており、「流離」が出版されることは、オルガン音楽における新分野の発展のきっかけになるであろうと思われます。(後略)