Message from Takashi Sakai酒井多賀志のメッセージ

メッセージF

変拍子の面白さについて(2001)

変拍子の音楽は、今まであまり例がありません。ひょっとして私も、人工的で不自然な世界に足を踏み入れているのではないか、という不安もありました。しかし古いグレゴリオ聖歌も2と3のリズムのアットランダムな組合せですし、日本の追分のフリーリズムも変拍子の感覚に近く、むしろ4分の3や、4分の4のように、固定された拍子を持続する方が、人工的なのではないかと思います。

5拍子と7拍子について、最近面白い発見をしました。

日本語は2と3を最小単位とするシラブルの拍子で構成されています。

例えば

  「ぼくは いま オルガンを 弾いている」 という文章は

   3    2  2+3   3 +2   という拍子で出来ています。

このように、2と3をうまく織り交ぜて日本語の文章はできています。しかしたまに、2拍子だけだったり、3拍子だけの文章も出来てしまいます。たとえば3拍子だけの例は;

 ぼくは きのう きみと ここで おちゃを のんだ

  3   3   3   3   3    3

これだと 拍子が単調で面白くありません。

これに対して俳句や和歌の5と7は、常に2と3の拍子を含むことになり、必然的に単調

を排除し、変化を生み出すリズム構成を持っています。5 は、2+3、または3+2、

7は2+2+3または2+3+2または3+2+2で、俳句と和歌は、すべてこの組合せのどれかに属します。

例えば;

さみだれを あつめてはやし もがみがわ (2+3、 2+2+3、 3+2)

なつくさや いわにしみいる せみのこえ  (2+3、 3+2+2、 3+2)

われときて あそべやおやの ないすずめ  (3+2、 2+2+3、 2+3)

こちふかば おもいおこせよ うめのはな  (2+3、 3+2+2、 3+2)

あるじなしとて はるなわすれそ  (3+2+2、 3+2+2)

つまり定型の詩も、散文の文章も、すべて2と3の組み合わせなのです。だとすれば、面白いと感じられる、変化に富んだリズムパターンを持つテーマを創作し、それを展開する事は、2拍子と3拍子、4拍子(6拍子は2拍子に、9拍子は3拍子に含まれる)に固定された曲よりも、多彩な変化の可能性が生まれるのではないでしょうか。

でも何故私は、固定された拍子よりも、変拍子に惹かれるようになったかを考えると、そこに行き着くには、思いもかけない経験がありました。

私は1998年から50 歳にして初めて免許をとり、自動車運転を開始しました。

運転していて感じることは、渋滞しているのは勿論苦痛ですが、何の障害もなく、延々と走り続けなければならない(固定された拍子)、高速道路の単調さも苦痛です。

むしろ一般道路で、信号待ちがあったり、横から入ってくる車に前を譲ったりしながら(変拍子の混合)、それ等がうまくいき、スムースに進んでいる時のほうが、大変面白く感じられ、眠くもなりません。

つまり、イレギュラーを前提にしたスムースな流れ、それに新鮮さを感じ、音楽に取り入れてみてはどうかと考えたのです。

単なる変拍子なら、すでに数多く作曲されています。しかし多声部のアンサンブルであるフーガは、私の作品以外では、お目にかかったことがありません。

私は1996年に、クラリネットの名手A.プリンツ氏と共演する為に、「クラリネットとオルガンの為のディアローグOP.44」を作曲しましたが、この時初めて変拍子のフーガを書きました。この時は、ヴィブラートの無いクラリネットとオルガンのアンサンブルでは、この拍子が面白いのではないか、という発想のもとに、実験的な気持ちだったのです。

しかし1999年に「イントロダクションとフーガ ニ長調Op.50」を作曲した時には、もはや実験的な半信半疑ではなく、変拍子の面白さと、その展開の可能性を、はっきりと意識し、自信をもって押し進めようと思っていました。 色々な人々と、様々な関係において交わらなければならない現代において、変拍子のフーガは、新鮮な面白さをもった、リズムの新しい流れを生み出していけると、感じています。