Message from Takashi Sakai酒井多賀志のメッセージ

メッセージG

奄美島唄との10年間の歩み(2001)

 オルガンと島唄とのアンサンブルを思い立ったのは、1991年でした。

私の妻が1983年より奄美島唄を研究し始めたのにくっ付いて、私も1984年の夏から家族共々(要するに私は子守り)徳之島や奄美大島に行くようになりました。

元々南の青い海と白い砂浜、珊瑚礁やそこに住む魚や貝が大好きな私は、スノーケルをつけて海中の様子を見ることができるのを、毎年楽しみにしていました。

奄美の歌を直接聴く機会も多く、次第にその世界を身近に感じてきた1990年代に入ったある日、島唄を聞いていると、ひょっとしてオルガンとのアンサンブルが可能ではないか、と思い立ちました。

妻にそのことを告げると、まさかと言う顔をしましたが、意外と面白いかもしれないと言う事になりました。

もしアンサンブルをやるとしたら誰が適当かと言う話になりました。当時民謡日本一に輝いた築地俊造(つきじ・しゅんぞう)さんがいましたが、島の伝統を受け継ぐ唄者(うたしゃ)としては、坪山豊さんの方がいいのではないかと言う意見が多くありました。

坪山さんは、島唄の自作自演もやっている事、「地の底から湧き出る声」と称される力強く幻想的な歌い方、しなやかな躍動感、洗練された音楽の流れに、私自身共感するものを感じ、彼と組むことにしました。

はじめて坪山さんとお会いしたのは1991年の8月、元N響のファゴット奏者の山畑馨さんに連れられて、坪山さんのお宅に伺った時でした。

最初にあわせる曲は、喜界島の悲劇を歌った「塩道長浜節」にしようとその時、決まりました。その年の10月だったと思いますが、 竹中労氏の追悼演奏会が埼玉県の川口であり、それに坪山さんも出演することを聞きました。

川口のリリアホールには、立派なパイプオルガンもあり、リハーサルの合間に、試しにあわせて見ようということになりました。リリアホールの方々も我々の意図を理解してくれて、無料で場所を提供してくれました。

「塩道長浜節」を初めてオルガンと合わせた時の印象は、今でもはっきり憶えています。

島唄を包むオルガンの響きが、緑深い山々や海の波のようで、結構いい感じだと思いました。

次にあわせた曲は、坪山さん作曲の「綾蝶(あやはぶら)節」でした。島を離れて旅立って行く若者を蝶に譬え、いつかは帰ってこいよと願う親心を軽快なリズムで歌った曲で、彼の代表作の一つです。後半16分音符で、蝶の羽ばたきを表現しましたが、我ながらうまく決まったと思える出来です。

次にあわせた曲は、10月の竹中労氏の追悼演奏会で、坪山さんが歌った「いきょうれ節」でした。死者の弔いの歌であるこの曲は、オルガンとあわせると、完全にレクイエムの感じになり、コンサートでは最も評判の高い曲となりました。

次にいままで誰もあわせた事の無い、究極の島唄との共演をしようということで、「嘉徳(かどく)なべ加那節」に挑戦することになりました。

この曲は非常にスケールの大きなメロディラインを持ち、しかも躍動感もあり、旋律の動きが複雑で、今までの曲の3倍くらいアレンジに時間がかかりました。

その結果力作と言うにふさわしい曲ができましたが、この曲の評判は、複雑なアンサンブルが面白いという人と、やりすぎだという意見にわかれてしまいました。

私としては原曲の持つキャラクターにあわせた結果なので、これでいいと思うし、坪山さんも「乗って歌える」と気にいっているようです。しかし最終的な評価はまだ決まっていません。

島唄という、既に存在しているメロディに対して、オルガンでいかにアンサンブルを試みるかを考えたとき、私の頭に浮かんだのは、ヨーロッパにおいて17~18世紀に盛んだった通奏低音の技法と、多声音楽の作曲法(対位法)です。島唄のメロディに対して、それと調和するバスの旋律を創作して重ね、その間をハーモニーで整え、更にオブリガートの旋律を一声加えると、極めて自然なサウンドが生まれました。

そうこうしているうちに、やがて曲数も整い、公演できる状態となりました。当時多くの新しい試みを推進していて、パイプオルガンの設置に際しては私も委員の一人でもあった武蔵野文化事業団に話を持ちかけました。

結果、武蔵野文化事業団と奄美文化振興協会との共催事業となり、1992年10月25日 武蔵野市民文化会館において、「吹ちゅりよ 南ぬ風(吹き送れ 南風よ)」のコンサートが実現しました。

新しい試みに対する戸惑いの声も有りましたが、多くは好評を持って迎えられました。

その翌年1993年7月2日には府中の森芸術劇場で、島唄の前に幻想曲を加えるという新しい企画も加えて再演が、1995年9月10日には奄美文化センターで里帰りコンサートが行われ、いずれも好評でした。

1998年からパイプオルガンの音をデジタル・コンピューターに記憶した新型オルガンを、私自身軽ワゴンに積んでフェリーで奄美へ渡り、各地で坪山さんと毎年4、5回のコンサートを行っています。

1999年には徳之島で徳島博敏さんと、2000年には喜界島の安田宝英さんと、2001年には沖永良部島の川畑先民さんともアンサンブルを行い、輪を広げています。

2002年には奄美島唄とパイプオルガンの出会い10周年記念コンサートが、坪山さんを招き、再び武蔵野市民文化会館で行われる予定です。

このコンサートでは、坪山さんの弟子で、若手のホープである貴島康男君も登場し、奄美の唄文化が受け継がれていることを証明してくれます。