Message from Takashi Sakai酒井多賀志のメッセージ
メッセージK
芸術家がつくる音楽、職人がつくる音楽(2005)
音楽史を見ると、モーツアルト以前の作曲家はほとんど職人的な音楽家でした。
作曲家が芸術家になったのは、ベートーベン以降と言われています。
では芸術家の作品と職人的な作品は、どこが違うのでしょうか。
芸術作品と呼ばれる作品は、売れるとか売れないにかかわらず、芸術家の魂の叫び、あるいは真の美を追求した作品であり、この世に1つしか無い、かけがえの無い物というイメージがあります。
一方職人が作る作品は、売れることを目的に大量生産出来る商業的作品であり、誰にでも手に入る物というイメージがあります。
その違いは、やがて商業的作品よりも芸術的作品のほうが貴重で優れているという通説を作り上げていきました。
もっとも現在ではこの通説はだいぶ衰え、人々は芸術作品も商業的作品もあまり区別無く鑑賞しているようです。
しかしクラシック音楽のファンの中には、商業的な作品に嫌悪感を持っている人が少なからずいます。
モーツァルト以前の作曲家達にとって形式は共有するもので、皆同じ土俵の上で作曲していました。
トッカータ、幻想曲、前奏曲、コラール前奏曲、フーガ、組曲、合奏協奏曲など多くの作曲家が取り上げています。
しかも作曲家達はみな自分の型を持ち、その型にそって生涯作曲し続けたのです。
例えばA.ヴィヴァルディは多くの合奏協奏曲を残しましたが、ほとんどの曲が「速いーゆっくりー速い」の3楽章からなり、トゥティとソロが交代するリトルネッロで出来ています。
また彼特有のハーモニー進行があり、ちょっと聴いただけでも、「ああこの曲はヴィヴァルディだ」とわかります。
それはヘンデルでもバッハでも同じ傾向にあります。
バッハのフーガ,北ドイツオルガン学派の5部分トッカータ、パッヘルベルのコラール・フーガ、フローベルガーの組曲、スウェーリンクのファンタジア、D.スカルラッティのソナタ、モーツァルト特有の曲調など、ほとんど全て彼ら特有のパターンがあります。
一曲一曲を他の曲とは違った独自の曲に仕上げようとする作曲態度は、ベートーベンから始まりました。
以後19世紀以降の作曲家達は、この道を歩むことになります。
しかし一方でベートーベンはソナタ形式にはこだわっていました。
ソナタ形式は言ってみれば形式を重んじる時代の最後の砦だったのかもしれません。
ベートーベンに従った19世紀以降の作曲家たちは、やがてそのソナタ形式をも捨てていくことになります。
それは形式化された物は独創性に欠けるという考えによるのです。
一曲一曲を他の曲とは違った独自の曲に仕上げようとする為には、パターン化したものを放棄しなければなりません。
何々ソナタといってもソナタ形式を全く持たない楽章で出来ている曲も作られました。
形式に取って代わったものは、文学における起承転結の展開です。
交響詩、ノベレッテ(短編小説)、バラード(小叙事詩)、アルバム・リーフ(小品集)などのタイトルにもその事があらわれています。
そこでは曲の完成度の高さよりも、起承転結が生み出すドラマチックな興奮のほうが優先されます。
そうした音楽は19世紀を通じて,主にドイツで発展しました(ドイツ・ロマン派)。
20世紀初めのドビュッシーによる改革は、このドイツロマン派に対する反発が根底にあります。
彼の音楽を「印象派の音楽」と言うとき、文学的なドイツ・ロマン派に対して、絵画的な印象派を打ち出すことによって対立軸を明確にしようとする意図が感じられます。
絵画的な音楽においては、ドラマチックな展開よりも、構成の確かさと高い完成度が求められます。
かつて形式の王国であった17世紀からモーツァルトまでの時代の音楽も、構成の確かさと高い完成度が重視される音楽、つまり絵画的な音楽でした。
20世紀中頃から始まったバロックブームも、絵画的な音楽を好む時代の流れに乗ったものと言えるでしょう。
バッハは彼の全作品のうち3分の2は、他人のテーマを使っているそうです。
彼はそのテーマを使い対位法を駆使して、原作者が思いもつかないような堅固な構成による、完成度の高い作品群を作りあげました。
バッハの独創性は、新しい音楽を生み出すよりも、対位法音楽の完成にむかって発揮されたのです。
それは芸術家の仕事というよりは、職人の仕事です。
職人の作曲家達はバッハ(1080曲)をはじめ、みな驚くべき数の作品を残しています。
もっとも彼らの作品の全てが傑作であるというわけではありません。
スウェーリンク、パッヘルベル、ブクステフーデ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、など数百にのぼる作品がありますが、良く演奏されるのは、その代表作である10数曲程度です。
ポピュラー音楽の世界で、1つのヒット曲を生み出す背景には、200曲くらい没になる作品があるといわれていますが、それと似ていると思います。
作曲家が何度も同じような作曲を続けていくうちに、ある形式とテーマをめぐって対位法,ハーモニーなどの使用に熟達し、彼の中で音楽が熟成されていきます。
その状態で,作曲家の創作意欲が最高潮に達したときにうまれた作品が代表作なのです。
つまりおびただしい時間の反復と創意と労力が必要であり、1回の作曲だけで代表作がうまれるわけではないのです。
17世紀からモーツァルトまでの音楽は、職人的な作曲家達の共同作業により、絶えざる反復を繰り返しながら、至高の高みに築き上げられていきました。
バッハは前の時代の作曲家達の遺産の上に乗っており、モーツァルトもバッハの息子達やハイドンの遺産の上に乗っていました。
ベートーベンは更にその上に乗り、至高の高みからグライダーのように飛びたったのです。
19世紀のロマン派の作曲家達が形式を廃棄しても創作をし続けることが出来たのは、形式を重視した時代の作曲家達が築いた、非常に豊かな遺産の上に乗っていられたからです。
それを食いつぶしてしまった現代では、再び構成と形式、対位法やハーモニーを見直し、時代にあった新しい形式を模索し、その形式を完成度の高い作品に仕上げて行く職人的な営みが必要だと思うのです。 ホームページのタイトル「オルガン音楽工房サカイ」はそうした想いから生まれました。