Message from Takashi Sakai酒井多賀志のメッセージ
メッセージI
最近出会った面白い本(日本文化モダン・ラプソディ)(2003)
1981年に自作自演を開始した頃から、私は機会あるごとに、次のように述べてきました。
私達はヨーロッパの作品に頼りきらずに、それらから学びつつも、自分達の音楽を持たなくてはならない状況にきていると思います。
第二次世界大戦以前の日本の作曲家、たとえば滝廉太郎、山田耕筰達もH.シュッツと同様、ドイツに学びそれを土台として当時の日本の音楽を生み出しました。
しかし第二次大戦後の日本のクラシック音楽家のほとんどは、自分があたかもヨーロッパ人であるかのように、ヨーロッパ人と同じことをやろうとしています。
私達の音楽における自己実現の為には、H.シュッツや山田耕筰達のように、外国で学んだ優れた技法を生かし、自国の身近な素材を発展させる可能性を追求するべきなのです。
この考えは今でも変わっていませんが、逆に何故私以外の人は、私の様に発想しないのか不思議でした。
今回、渡辺裕著「日本文化モダン・ラプソディ」を読んで、はじめてその疑問が解けました。
この本によれば、私が上記で述べているような「外国の優れた技法を取り入れ、自国の身近な素材を発展させ、新しい音楽をつくる」という考え方は、第2次大戦以前では、むしろ多数派の考え方だったようです。(私は戦前のシーラカンスか?でも戦後生まれです)
筝の名手であった宮城道雄は伝統的な邦楽に反旗を翻し、邦楽の「近代化」の先頭に立った人物で、十七絃、八十絃、短琴など,西洋楽器にヒントを得て、古来の琴に新たな工夫をほどこした新楽器を次々と発表し、なんと八十絃でバッハのプレリュードを演奏したそうです。
彼の作品には西洋音楽の形式や技法を取り入れて、カノンの技法によって琴と尺八がかけあいを演じる「秋の調べ」や、西洋音楽の和声をベースにした「新暁」のような作品があるようです。
しかしそれらは,その後の時代の受容のなかで、洋楽色の強い作品のほとんどは無視ないし軽視され、上記の改良楽器も、別の経緯で生き残った十七絃以外はほとんど忘れられてしまったようです。
そこには何があったのでしょうか。
この本では戦前の考え方として田辺尚雄氏の次のような主張を紹介しています。
「日本は古くから,インドや中国、朝鮮の様々な文化を積極的に取り入れ、しかもそのことごとくが元の国でのものよりもはるかにすぐれたものに仕立て上げられている類い希なる文化をもっている。
琴は中国では単なる合奏用の楽器であったが、日本で独奏楽器として開花した。
三味線も日本に入って撥を使うようになることによって、打楽器としての性格をあわせもつようになり、表現の幅を増した。」
「そういう中で西洋楽器もやがて西洋よりもすぐれた用法をひらいてゆくことになるだろう。」
「日本は東洋の中でもきわめて発達した特殊な文化を形作っているのであり、東洋において指導的な役割を果たすことによって、西洋から開放された独自の文化圏の旗手にならなければならない。」
渡辺氏は、田辺氏の主張は同時代の民俗学者西村真次の議論のロジックとほとんど重なっており、大東亜共栄圏思想と深く結びついていたことを指摘しています。
しかし第2次大戦の敗北により、渡辺氏は、
「戦前の日本文化を支えてきたパラダイム自体が瓦解してしまい、われわれは世界の中の日本の位置、その中での『日本文化』のアイデンティティ、さらにそこでの自らの音楽活動の意味づけといったことを、すべてゼロからやり直さなければならなくなった。」
「大東亜共栄圏の盟主という位置を捨て、韓国や中国、東南アジアの支配から撤退したとき、必然的に日本は『西洋先進国』の一角を占めるという道を選択することになったが、そのことは同時に『日本音楽』や『日本文化』に向けるわれわれのまなざしのあり方も根本的に変化させることになった。」
その結果日本人は、
「先進国である西洋人の日本文化に対する視線を内面化してしまった」
「日本人自体が、西洋人の好むような『日本文化』像を積極的に提示し、そういう『日本文化』像をむしろ強化する方向(純粋な日本文化志向)で振舞うようになり、今や日本人自身がそういうものをごく自然に『日本的』と感じるような感性を身に帯びてしまっているのである。」
一方西洋音楽に対しては、
「西洋音楽と日本のものを結びつけて新しいものを作るのではなく『直輸入』的な『純粋な西洋文化』への志向が強まった」と述べています。
「純粋な日本文化」を求めて中途半端な西洋化を阻止しようとする「国粋主義」と「純粋な西洋文化」を求めて日本的な要素の混入を防ごうとする「西洋かぶれ」の二極に分裂してゆくことになるのですが、一見したところ正反対の方向性をもっているこの両者の背後には、「純粋な」という共通した観念があり、両者の文化にたいする態度は、「同じことの裏返しにすぎない」と渡辺氏は言っています。(ただし西洋音楽の本場での発展は受け入れたようです)
なるほど、そう言われてみれば、現在の私の活動は邦楽の世界からも、また洋楽の世界からも受け入れがたい、難しい立場だと思いました。
上記の田辺尚雄等の戦前の主張に対し渡辺氏は、
「戦争協力」を批判することは容易であるし、批判すべき問題を含んでいることも確かである。しかし(中略)基層にある構造的な問題に目を向けたとき、ほかならぬわれわれ自身が多くの問題を今なお未解決のまま抱え込んでいることに、そしてまた他方で、「過ち」として捨て去ってしまった部分にも今なお新たな視点で見直すべき事柄が数多く含まれていることに、気づくのではないだろうか。」と言っています。
私の「外国の優れた技法を取り入れ、自国の身近な素材を発展させ、新しい音楽をつくる」という考え方の中には、自分の音楽を出来るだけ発展させたい、という願望はありますが、ヨーロッパよりも良い物を作らなければならないとか、新しい技術で世界の旗手になろう等、他者との競争を考えていません。
私は「音楽は表現するものであり、競うものではない。」と常々思っています。
自分の表現したい事を追及していくにつれて、自ずと湧き出てくる問題と向き合うことが大切だと考えています。
それにしても私は何故「純粋な」という枠組みからはずれてしまったのか自分でも不思議です。
こういう本が書かれたということは、私が長い間疑問に思っていることに目を向ける人々が出始めた証しかもしれないと思っています。
それだけに現在の私の方向を大切にしていこうと思います。
この本では;
・宮城道雄の「春の海」にまつわるエピソード
・邦楽器の改良の試み
・大正から昭和初期にかけての大阪と東京の音楽観の違いからくる闘争
・ウィーンでベートーベンのアパショナータに振り付けをした楳茂都睦平のエピソード
など、「へぇー、嘘」と思わず叫ぶところが多く、実に意外で面白く読みました。
お薦めの本です。