History of Takashi Sakaiオルガニスト 酒井多賀志のあゆみ
プロフィール
パイプオルガンが奏でる音楽は、
人の心に訴えるというよりは、
人の心が住める音の建物です。
オルガニスト・作曲家酒井多賀志
☆日本におけるコンサート・オルガニストのパイオニアとして☆
東京芸術大学オルガン科(院)在学中の1970年、万国博オルガンコンクール最高位入賞。
以後バッハ・フランクを中心に、古典から現代まで幅広いレパートリーをとりあげ、各地で精力的にコンサートをおこなう。自主企画リサイタル、実況録音レコード制作、シュトルム合唱団・合奏団を率いてのバロック演奏等、活動は多岐にわたる。
その演奏は「音楽の骨格がつねに明確に把握され、燃えるような情熱が注ぎこまれて、楽天的な生命力が解放されている」と高く評価される。
1981年以後、オリジナル曲の作曲に着手。箏・尺八・マンドリン・奄美島唄など、これまで試みられなかったアンサンブルを推進し、清新でユニークな作品を発表し続ける。90年に初アルバムCD、92年には代表作「流離(さすらい)」が、オックスフォード大学出版局によって欧米に紹介される。その作品は、オルガン音楽の枠に留まらず「世界の現代音楽のフロンティアを拓く」といわれている。
また音楽ホールのパイプオルガン設置に尽力、日本のオルガン音楽の興隆に寄与。後年はデジタル・パイプオルガンの普及につとめ、各地に楽器を運んで演奏した。
常に現場(ライブ)感覚に導かれ、ジャンルを越え、日本のオルガン界に「鮮烈かつ創造的な新風を送る」トップオルガニストとして活躍。自主制作CD・DVDを数多くリリース、作品総数は77曲、演奏の足跡は23都道府県・海外5カ国におよぶ。
酒井多賀志のめざしたこと
酒井多賀志の略年譜
1948 | 1月1日、東京・東中野で出生。3歳頃よりリードオルガンに親しむ |
1953 | (5歳)武蔵境に移転。平安学園音楽教室で、津川みち・井上優子氏よりオルガンレッスンを受ける |
1962 | (中学2年)H.ヴァルヒャ演奏のバッハ「トッカータとフーガ二短調」に衝撃を受け、オルガニストを志す。カトリック吉祥寺教会を訪ねパイプオルガンの練習開始。後藤文夫神父と出会い、翌年受洗する |
1966 | 都立武蔵高校卒業、東京芸術大学入学。指導教官は秋元道雄氏 |
1970 | 万国博オルガン・コンクールで最高位入賞、以後演奏活動に入る |
1972 | 東京芸術大学オルガン科大学院修了 |
1974 | 自主企画のリサイタルシリーズ開始(~2011年、50回まで) |
1975 | ザルツブルク国際音楽祭夏期講習にて「優れた芸術家」と称賛を受く |
1978 | 初の実況録音レコードが発売され、高く評価される(~1980年、Vol.4まで) 酒井多賀志公演会 発足(自主公演の主催母体として) レコード「バッハ讃仰」発売(諸井誠「BACHの名による幻想曲とフーガ」他、CBSソニー) |
1980 | チェンバロ購入(堀栄蔵製作、フレンチタイプ) |
1981 | 完全音程(5度)を主体とした作曲に着手、自作自演を開始 |
1982 | 東京純心女子短期大学音楽科 講師 |
1984 | 武蔵野市民文化会館小ホールのパイプオルガンの選定・設置に尽力(デンマーク、マルクーセン社製) |
1987 | 以降、オリジナル作品で邦楽器と共演(山本邦山、三塚幸彦・小野美穗子各氏) |
1989 | 東京純心女子学園・江角講堂のパイプオルガンの設計・設置に尽力(カナダ、カサバン・フレール社製) |
1990 | 初アルバム「流離」(女子パウロ会);尺八・琴とのユニークなアンサンブルのCD化 マンドリンの恩地早苗氏とアンサンブルを開始。 |
1991 | 府中芸術の森劇場のパイプオルガンの設置に尽力(ドイツ、パーシェン社製) |
1992 | オリジナル作品「流離」(SASURAI)、オックスフフォード大学出版局より楽譜出版 奄美島唄の第一人者、坪山豊氏とのアンサンブルを開始 東京純心女子短期大学 音楽科 助教授 |
1996 | 世界的なクラリネット奏者A. プリンツ氏と、オリジナル作品で共演 東京純心女子大学 芸術文化学科 教授 |
2000 | CD「酒井多賀志オルガンリサイタル」Vol.1~6リリース(~05年) |
2006 | 坪山豊氏とのアンサンブルCD「珊瑚礁の風」リリース |
2007 | CD「サラマンカホールの辻オルガン」リリース |
2009 | CD 宮崎県立芸術劇場「アイザック・スターンホールの須藤オルガン」リリース |
2012 | DVD「響きわたる音の神殿;パイプオルガン」リリース 東京純心女子大学を退職、同特任教授 |
2012 | デジタルパイプオルガンコンサートのシリーズを小金井にて開始(No.15まで) |
2017 | 平山城址に「クラヴィーア音楽研修所」開設、ホームコンサート開始(No.6まで) |
2019 | 12月13日、虚血性心不全で自宅にて死去(71歳) |
☆作品総数77曲、自主制作のLPレコード4枚・CD17枚・DVD1枚をリリース
☆演奏の足跡は23都道府県・海外5カ国におよぶ
☆カトリック吉祥寺教会オルガニスト、東京純心大学客員教授、日本演奏連盟会員、日本オルガニスト協会会員/東京芸大・秋田聖霊女子短大講師を歴任
<オルガン以外の活動>
1972~91年、シュトルム合唱団 常任指揮者
1972~92年、シュトルム合奏団(芸大、桐朋、国立音大卒の有志による弦楽合奏団)常任指揮者
1981~87年、チェンバロ奏者として7回のリサイタルを開く。後年クラヴィーア音楽研修所で継続。
自著・エッセー
(下記のほか、プログラムへの執筆多数)
自著タイトル(補足) | 掲載誌 | 発行年 | 発行元 |
バッハ「クラヴイーア練習曲集第3巻」における象徴について | オルガン研究Ⅰ | 1973 | 日本オルガン研究会 |
歴史的奏法をめぐって | オルガン研究Ⅱ | 1974 | 日本オルガン研究会 |
J.S.バッハ「パッサカリア」における構成;黄金比の適用 (独自の発見を発表) | ディー・オルゲルno5 | 1981 | 不明 |
カテドラルオルガンの夕べ100回記念によせて~この10年間の私の演奏の軌跡~ | カテドラルオルガンの夕べ 第100回記念誌 | 1981 | 東京カテドラル |
「日本のクラシック音楽界の危機とオルガン音楽および自作自演について」 原版はこちら | オルガン研究XⅣ | 1986 | 日本オルガン研究会 |
鍵盤楽器の発展の歴史にみられるアレンジメントの意義について | オルガン研究XXⅢ | 1994 | 日本オルガン研究会 |
風と音楽 (「光と風と波の心象」に言及) | 真木太一ほか(編)『風の事典』 | 2001 | 原書房 |
日本オルガニスト協会への提言 原版はこちら | JAPAN ORGANIST 35 | 2008 | 日本オルガニスト協会 |
オリジナルを作曲する喜び 原版はこちら | あんさんぶる291号 | 1991 | カワイ音楽教育研究会 |
私とオルガン2 原版はこちら | 音楽現代36-12 | 2006 | 芸術現代社 |
対談・インタビュー記事・関連論文
タイトル | 日時 | 掲載誌、メディア | 発行元 |
磯山雅「酒井多賀志氏に聞く”バッハの大きさ”」 原版よりテキスト化(伏木雅昭氏による) | 1971 | NOA vol.1 | NOA編集部 |
磯山雅「酒井多賀志氏の”人と芸術”」 原版はこちら | 1978 | LPレコード「酒井多賀志オルガンリサイタル」Vol.1ジャケット解説 | 酒井多賀志公演会 |
百万人の音楽(芥川也寸志氏と対談) | 1979.7.8 | TBSラジオ | |
百万人の音楽(芥川也寸志氏と対談) | 1979.7.15 | TBSラジオ | |
新時代の音楽家達(磯山雅氏と対談) 原版はこちら | 1982 | ステレオ芸術5月号 | ラジオ技術社 |
祈りの次元で音楽を(対談) | 1987 | あんさんぶるNo.252 | カワイ音楽教育研究会 |
絶好調の時を頭にインプット(対談) 原版はこちら | 1989.11 | 光の泉 | 生長の家本部 |
第10回クラシック音楽最前線「日本のオルガンブームを作った3人のオルガニスト」(中田 薫氏と対談) | 1992.11.3 | NHKFM | |
島唄との共演;見事な調和/伝統・新風 原版はこちら | 1995.9.11/9.12 | 南海日日新聞/大島新聞 | |
人物紹介;かお/応接室 原版はこちら | 1998.9.8/2000.8.21 | 南日本新聞/南海日日新聞 | |
島唄包むオルガンの音色;共演10年 原版はこちら | 2002.9.29 | 読売新聞西部版 | |
CD「珊瑚礁の風;奄美島唄とパイプオルガンの調べ」(持田明美) 原版はこちら | 2006.11.22 | 南海日日新聞 | |
オルガンに和の主題;酒井多賀志CD発売 原版はこちら | 2008.12.6 | 読売新聞西部版 | |
中村岩城「酒井多賀志オルガン作品研究」 | 2010 | 芸術研究3 | 玉川大学芸術学部紀要 |