History of Takashi Sakai酒井多賀志のあゆみ
プロフィール
パイプオルガンが奏でる音楽は、
人の心に訴えるというよりは、
人の心が住める音の建物です。
オルガニスト・作曲家酒井多賀志
☆日本におけるコンサート・オルガニストのパイオニアとして☆
東京芸術大学オルガン科(院)在学中の1970年、万国博オルガンコンクール最高位入賞。
以後バッハ・フランクを中心に、古典から現代まで幅広いレパートリーをとりあげ、各地で精力的にコンサートをおこなう。自主企画リサイタル、実況録音レコード制作、シュトルム合唱団・合奏団を率いてのバロック演奏等、活動は多岐にわたる。
その演奏は「音楽の骨格がつねに明確に把握され、燃えるような情熱が注ぎこまれて、楽天的な生命力が解放されている」と高く評価される。
常に現場(ライブ)感覚に導かれ、ジャンルを越え、日本のオルガン界に「鮮烈かつ創造的な新風を送る」トップオルガニストとして活躍。自主制作CD・DVDを数多くリリース、作品総数は77曲、演奏の足跡は23都道府県・海外5カ国におよぶ。
酒井多賀志のめざしたこと
酒井多賀志の略年譜
1948 | 1月1日、東京・東中野で出生。3歳頃よりリードオルガンに親しむ |
1953 | 5歳)武蔵境に移転。平安学園音楽教室で、津川みち・井上優子氏よりオルガンレッスンを受ける |
☆作品総数77曲、自主制作のLPレコード4枚・CD17枚・DVD1枚をリリース
☆演奏の足跡は23都道府県・海外5カ国におよぶ
自著・エッセー
自著タイトル(補足) | 掲載誌 | 発行年 | 発行元 |
バッハ「クラヴイーア練習曲集第3巻」における象徴について | 「オルガン研究」Ⅰ | 1973 | 日本オルガン研究会 |
「日本のクラシック音楽界の危機とオルガン音楽および自作自演について」 原版はこちら | 「オルガン研究」XⅣ | 1986 | 日本オルガン研究会 |
(データは現在整理途中です)
自主企画
酒井多賀志パイプオルガンリサイタル
オルガンリサイタル№1/バッハへの流れ
バッハを中心としたバロック |
オルガンリサイタル№2/バッハ以降のオルガン音楽
バッハ、メンデルスゾーン、リスト、レーガー、フランク、アラン |
デジタルパイプオルガンコンサート
オルガンリサイタル№1/バッハへの流れ
バッハを中心としたバロック |
デジタルパイプオルガンコンサートNO.3/ソプラノ、マンドリン、パイプオルガンによる〜四季の調べ〜
op.58、op.61、p.54(詩:俊山和則)花の詩より、op.65「マンドリンとオルガンの為のイントロダクションとフーガ」、他ソプラノ十日谷正子氏、マンドリン平丈恵氏と共演 |
オルガン独奏曲
難易度 :*印の数が多いほど難しくなります
交響的即興曲「光と風と波の心象」 Op.3¥2,500難易度: |
瞑想的即興曲「流離」Op.17¥2,500難易度: |
去る昨年12月13日、72歳の誕生日(元旦)を目前に、父・酒井多賀志はオルガニストとしての生涯を終えました。自宅で、翌日のクリスマス・コンサートに備え練習している最中に、突然の心臓発作に見舞われたようです。オルガンシューズを履いたまま、最期まで現役オルガニストを貫きました。
父は「オルガン音楽が日本の地に根ざすには、日本人の感性に合った音楽を作り出さねばならない」という強い信念のもと、1981年から作曲という未知の世界に踏み出しました。以後、様々な楽器や歌曲とのアンサンブルに
[酒井多賀志公演会とは]
酒井の自主公演(オルガン・指揮・チェンバロ)をとりまとめる主催母体として、1978年に発足。公演会ニュースを継続的に発行し(No.112まで)、1991年までは会員制度をもうけていました。その後も引き続き、自主公演の主催団体として終生存続しました。